ドリフェスと、3次元から入った私
高校生の石原壮馬がふんどし一丁で踊ってるところ見たことある?私はある。
ムーブメントに乗っかって「ドリフェスと私」を書くにあたり、まず思い出したのは、石原壮馬との出会いだった。2013年8月、彼がまだ熊本在住の高校生だったころ。夏休みで劇団プレステージを手伝いに来ていたのだと思う。
劇団プレステージの公演では開演前の諸注意を劇団員が面白可笑しく伝えるのが恒例となっている。通称「五分前」(開演5分前に行われるから)。千本桜ホールで上演された「トーキョー・タイム・パラドクス」では、ふんどし一丁の劇団員が大量に出てきて踊りながら諸注意を行う、というなかなかインパクトのある五分前だった。
そのふんどし集団の中に、石原壮馬がいた。
劇団員でもない、年端もいかない美少年が、やや恥じらいながらふんどし一丁で踊っていた。帰ってからあの少年について調べてみると、何と1996年生まれ。じゅ、じゅうななさい(当時)、、絶対に売れてほしい、がんばってほしい、と強く願ったのを覚えている。
他のドリフェス!メンバーについては、出会い方を覚えていない人もいる。
というのも、私は元々アミューズのファンなので、あれもあれもと作品を追っているうちに知っている俳優がどんどん増えていくから。溝口くんを初めて知った時期については本当にわからない。
溝口くんは2012年9月の「FROGS」情報解禁時にはすでに「溝口くん出るんだ!」と認識していたから、多分仮面ライダー電王映画か何かを観て知っていたのだろう。
FROGS、と書いたのでその話をしますが、私はこの「FROGS」という舞台が大好きで大好きで。この舞台をきっかけにアミューズに心酔するようになったと言っても過言ではなく、長い間続報を待ち望んでいたので、公演決定の仮チラシを見た瞬間に劇場で叫んでしまった(ごめんなさい)。
5月に上演、7月に再演という異例のスケジュールで、再演期間は大学の試験期間ともろに被っていたが、私は試験と単位をいくつか放棄までして(ごめんなさい)この舞台に入れ込んだ。その7月の大千秋楽、最後の公演においてようやく私は、役者・溝口琢矢と出会った。*1
テルとカケルの距離感、親戚感は今日より前もすごい感じてたけど、あんなに切なくて孤独だとは思ってなくて、今まで何で観れてなかったのかなって思うと、たぶんわたしも「踊る人」に目が行ってたわけで、それがもう決定的に悲しくて、今までの何公演もテルはあんな顔してたのかと思うとテル愛しすぎ
— めりこおばあちゃん (@melicooo) 2013年7月27日
太田くんとの出会いは明確にこの2013年のFROGSだと言える。
「伝説の舞台!」と銘打たれた8人舞台の、メインどころ以外*2の4名がオーディションで選ばれることになった。そこで選ばれたうちの1人が太田くん。2012年12月のハンサムライブで姿を拝見したときには、まだ高校生だったらしい。正直FROGSでの太田くんのことはあまりよく覚えていないが、そのカンパニーにおいて彼は太田プロと呼ばれていた(アミューズ舞台なのに)ということだけは最近思い出した。
この人のこれには勝てない!
— めりこおばあちゃん (@melicooo) 2013年7月25日
小関「太田プロの勢い、返事とか返事とか」「大事なことだから2回言った」溝口「スター★ックス行ったときも店員さんにありがとうございます!はい!!って言ってた」平埜「店員さんびびるでしょ」太田「コンビニとかでも言っちゃうんですよね」平埜「いいこと!!」
FROGS千秋楽から日が経つと、オーデ組の中でもアミューズに入る者と入らない者とが出てきた。太田くんは少し遅れてアミューズに入り、石原くんの5か月後に劇団プレステージに入団した。これは私にとって大変喜ばしいことだった。
恥ずかしながら、富田くんについてはドリフェス以前はお名前も存じ上げなかった。こんなに綺麗なお顔の若いアーティストなのに、それまでハンサムライブに出てなかったってどういうこと?アミューズってどれだけ層厚いの?
恋するブロードウェイで俳優デビューということなので、もしかしたらそのときのフライヤーくらいは持っているかもしれない。
正木くんは、「青春!!!!!ユニットオーディション」で選ばれたのがたった1人だったことについて驚いたのを覚えている。1人って。てっきりもっと多く採るのかと。
予想できなくなくなくなくなかったけどオーデしたってきいたから予想外でした!!!!まじでやばい
— めりこおばあちゃん (@melicooo) 2015年10月9日
あとの4人は既に事務所に所属していたところに、20歳の大学生が1人飛び込む。さぞかし大変なことだろう。
元々知っていた3人含め、この5人でこれから羽ばたいていくということで、完全に祖母*3の気持ちで「すごいね、良かったねえ、頑張ってほしいねえ」と思った。
「良かったね」「頑張って」「大変だね」…何だか他人事みたい。いや、実際他人事だった。
ドリフェス!プロジェクトがスタートした2015年。私は新卒1年目で、都内大学を出て群馬県で働き始めていた。いや今も群馬県民なのに毎週末のように東京おるやんけとフォロワーさんには思われるかもしれないけれど、群馬の、しかも最寄り駅まで5km!みたいな僻地から、車もなしに都内へ出るのは、社会人1年目のぺーぺーにはなかなか労力が要った。ので、一番最初のAGFをスルーしてしまった。
元々が現場至上主義の舞台俳優厨なので、「追いきれないよりは、最初から追わないほうがマシ」という選択肢を無意識にとっていたのかもしれない。
しかもDearDreamの面々が、若い!全員年下。それまでハンサムライブでお兄さんたちを応援していた私にとって、年下を推すということは考えたこともないことだった。むしろ10歳くらい年下だったらそれこそ完全に祖母の気持ちになれたんだろうが、2歳くらい下…を応援する、というのは、どこか少し気恥ずかしさがあった。
そういった言い訳を並べ、このプロジェクトのことは遠くから応援しよう、と思っていた。
そんなときに黒船のごとく現れたのが、KUROFUNEだった。
(続くのか?)